2016年12月

 耳が聞くのではない 全身が耳となる (安田理深 師) 

 

   差別され、抑圧され、虐げられて生きる人々の現実に

  共に生き、全身を耳とするような歩みの中で、あらゆる

  人を友・同朋と見いだしていかれた親鸞聖人の念仏でした。

2016年8月

 摂取不捨の利益

 

   いつまで生きても 退屈せず

   いついのち終わっても 後悔しない

   誰と出会っても 素晴らしい朋友として交わり

   どんな悲しいことに遭遇しても それを引きうけ

   共に生きぬきます

 

   (今年春彼岸法要の講師 湯浅成幸師のことば

    熊本大震災で被災。7月15日、皆様の義援金を

    もって訪問しました。)

2016年7月

 悲しみは 人と人とを つなぐ 糸である (藤元正樹 師) 

 

   「悲」は忘れかけていた相手を思う深い感情や

  かけがえなさを呼びおこす。心の痛みである私たちが

  抱く悲しみは想像を超えて人と人を結びつける。

2016年6月

 他力と自力は 反対語ではない (本多弘之 師)

 

   私たちは右か左、善か悪、勝ちか負け、損か得、

  ふたつに分けて、時には対立するものとして理解

  している。しかし、他力と自力はそういう関係

  ではない。私たちが自力と考えている全体が他力の

  中にある。

2016年3月

 『生きろ』 念仏詩人 木村無相 師

 

   生きろ 生きろ

   花が花で あるように

   草が草で あるように

 

   生きろ 生きろ

   自分を尽くして 生きろ

   散る時がきたら 散り

   枯れる時がきたら 枯れるがよい

 

   生きろ 生きろ

   花のごとくに 草のごとくに

2016年2月

 おのおの意を快くせんと欲えり  (大無量寿経)

 

 ひとつのおとに ひとつのこえに みみを すますことが

 もうひとつのおとに もうひとつのこえに みみを ふさぐ

 ことに ならないように (詩人 谷川 俊太郎 氏)

 

 自分たちに都合のいい 物言いだけに 耳を聞くのでは

 なく 沖縄の声にも 震災の被災地の声にも 

 子どもたちや弱い立場の人の声にも 耳をよくよく澄ます

 ことが 民意を聞くことになるのです

2016年1月

 闇から 光へ出るのではない

 光来って 闇が去る (安田理深 師)

 

   毎日の日暮らしは 欲と怒りの 海風によろめき

   たどたとしい私の歩みを 見守りながら・・・

   限りなく私の無明の光を破り払ってくださる光です。

   「無碍光如来」とよばれる光の大いなる「はたらき」です。

2015年11月

 念仏とは 自己を発見することである (金子大栄 師)

 

   念仏申すところに本当の私自身の姿にめざめ

   自覚をうながされる。

   分析的に 対照的に 自分や仏を知るのではなく

   念仏する時 自己も仏も見えてくる。

2015年8月

 人生は長さじゃない 深さです 幅です (金子大栄 師)

  

 嘘は 百万年かけて固めましても 嘘です (平野修 師)